大学入学共通テストが始まり、これから本格的な受験シーズンを迎えます。少しでも偏差値の高い難関大学に入学しようと、最後の追い込みに励んでいる受験生がたくさんいらっしゃると思います。 しかし、勉強ができる人、難関大学の卒業生の人生が必ずしも幸せなものとはかぎりません。
たとえば夫婦関係では、生真面目で偏差値の高い優等生たちは「夫婦を円満にキープできないのは、自分の頑張りが足りないからだ」と考えてしまいがちなのです。それまでの人生でいつも努力をしながら、受験戦争も就職戦線も社内競争も勝ち残ってきた人たちにとって、結果が出ないということは「自分の努力が足りない」と判断してしまうからなのでしょう。
しかし、夫婦関係は受験や就職とは違って、相手のあるものです。自分一人だけが頑張ったとしても、夫婦問題の解決にはなりません。
そして、親子関係については、勉強ができたことで成功してきた親たちならではの問題があります。本来なら、子どもたちそれぞれの個性を把握して、それに合った将来を一緒に考えてあげるのが親としての在り方であるはずです。しかし、学歴社会で成功をおさめてきた親は特にステータス意識が強く、その成功体験を子どもにも押しつける傾向があるようです。
また、自分ができたことは我が子もできるはず、という思い込みをもちやすいので、子どもが別の人格であることを認識しづらいのです。親子は血こそつながっていますが、同じ人間ではありません。そこに理解が及ばないと親子間で摩擦が生まれてしまうのです。
自分のメンツを繕うことを優先して、子どもに寄り添えていないケースも少なくありません。高学歴の親は弁が立つ人が多いため、子どもの意見を聞いていない人も多くなります。その結果、子どもの自発性、積極性が鍛えられなくなってしまうこともあります。
平均寿命が日本では約84歳といわれています。今の定年が60歳だとしても、まだ20年以上も先の人生は残っています。定年を過ぎて、仕事も会社の肩書もなくなってしまいます。人間関係のなかでは、難関大学卒であることも、勉強ができることも、あまり役には立たないでしょう。
そうしたときに頼りになるのは、学歴ではありません。本音で語り合える友人やかけがえのない人とのつながりこそが、幸せな老後にとって大切なのです。
高学歴や勉強ができることは、生きていくなかで優れた能力と認められるものではありますが、幸せになるために役立つとは限らないのです。