察してほしい」は夫婦間でも難しい!?

長い間夫婦関係を続けていると、ときには「カチン」とくるような出来事があります。そうした自分の気持ちを押さえ込むことは、なかなか難しいことのように思われます。
ですが、「カチン」と来るたびに、苛立ったり、声を荒げて文句を言ったりすれば、夫婦関係を穏やかに続けていくことは難しいことになります。ですから、ある程度はその状況をやり過ごしたり、夫婦が互いにゆずり合ったり妥協し合ったりすることが必要になるのです。

日常のなかにも、夫婦間で「察してほしい」と思う事態があるはずです。長い年月をともに過ごした夫婦であればあるほど、「言わなくてもわかってくれるだろう」、「わかってくれるはずだ」と自分の気持ちを口にしない場合が多くなるようです。
特に日本は「察する」ことを良しとする社会です。察しの悪い人に対しては「空気が読めない人」だとして、学校や会社のなかでも距離を置かれがちになったり、コミュニケーション能力が低いと評価されてしまったりするのではないでしょうか。

ただ、実際には自分の気持ちを伝えることもせずに、「察して」もらえることはほとんどないものです。それは、家族であっても、長年連れ添った夫婦であっても同じはずです。
特に「察してほしい」と思うのは、言いにくい言葉であったり、口に出すのが恥ずかしい事態であったりすることが多いものです。だからこそ、長いつき合いである家族や親友、そして夫婦であれば「察してくれるはず」と甘えてしまうのもわからなくはありません。

ですが、信頼できる関係ができていれば「察してほしい」と思う前に素直に気持ちを打ち明けられるのではないでしょうか。「察してほしい」と思っているうちに、問題はより深刻になり、思っていない方向に進んでしまうことにもなるのです。そればかりか「察してくれない」と自分で問題をこじらせて、夫婦関係が修復できないままに離婚となってしまうことにもなりかねません。
お互いが「察してほしい」を続けていることで、お互いが望まない結果を招いてしまう前に、素直に自分の気持ちを伝えること、そして伝えるためにコミュニケーションの方法を学ぶことが大切です。

この記事は私が監修しています | 夫婦問題研究家 岡野あつこ
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